歓迎されたか否か

労働者として東京に来て、3年目に入りました。
何年か前のブログで、恐らくわたしは労働者としては「東京」に歓迎されるが、「個人」としては歓迎されるか分からないと書いた覚えがあります。

結果として、私は歓迎される努力を怠った結果、果てしなく自堕落な人格をかたちづくる事になりました。
唯一求められている労働にはいくばかし貢献していそうですが、そうでない部分において大変にいてもいなくても良い存在と化しております。

そのような自堕落人間が、何を思ったかカメラを持つことにしました。

自己表現の一環にと思っていますが、自分のとりたい写真なんて今回上げたような景色では有りません。

汚ない部屋、落書き、酔っ払って潰れている人間、競馬で負けた人間の顔、電車で寝ている人間
人間を雑巾のように絞ったときにでる残り汁のような物を残していきたいのですが、
いかんせん競馬で負けた人間の顔を撮ることも、そもそも他人の顔を無断でとるということは、あまり喜ばれることではないでしょう。

なのでしょうがなく風景を撮ります。
本当はこんなものが撮りたい訳ではないですが、大手をふって撮れるのがこれくらいなので、しょうがなく風景を撮ります。

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好きなストーリー

住み慣れた待ちを出るストーリーが好き。

トレインスポッティング然りエウレカセブン然り。

もともとエウレカセブン自体、トレインスポッティングの影響、またいろんなものを吸収している作品だけれど、こういうものに弱い。

自分が抜け出せていないから、このレントン二人をカッコよく思うし、憧れもする。

そんな自分も、4月から新たな地で新生活が始まる。

東京という土地で、労働者として組み入ることになる。

おそらく労働者としては歓迎されるだろう。人間として歓迎されるかどうかわからない。

「ねだるな、勝ち取れ。さすれば与えられん」

成長して、もしくは新しい自分でまた街に帰ることができればいいと思う。

 

核のゴミ

最近、ちょっと調べ物で核燃料廃棄物の最終処分場について調べています。

まぁ小さいシンポジウムみたいなものにも参加してみたりしてますが、

まぁ主催者側のNUMO(原子力発電環境整備機構)と説明会に参加する市民

どちらの言い分もよくわかりました。。

けどガラス固化体の説明の時に古代エジプトの発掘品のガラス工芸品をもちだすのは

どうなんだかぁ...今になっても安定した形を保っていますとか言われても、別に古代エジプトで高レベルの放射線を放つ高温度のものと一緒じゃなかったでしょ。。。って感じだけど

 

あと配布された資料以上のことはなかなか言及できないことは仕方のないことだと思うし、地層処分についての議論だけがしたいのもよくわかる。

けど明らかに参加している市民は原子力政策にモノ言いたげな人も多かったのも仕方ないのかな、、 今現在ゴミ出してるのにゴミ箱の設計だけの話では収まらないもんなぁ、、

 

あと処分地選定の公募制も少し変えた方がいい気がしました。すでにスウェーデンも公募制で決まっていますって言っていたけど、どうやらスウェーデンはすでに原子力発電所のある地域に着目して選定してたみたいだし、まぁ言い様ですよね。たしかに公募制だけど、実際は原子力発電所の周辺地域に着目した公募だったなんて。。

私が参加した説明会でも、原子力施設の近くに処分場たてればいいのに、という意見が大半でした。輸送コストも安いし、コンセンサスも真っ白な地域に比べたらとりやすいだろうって。

文献調査やって、科学的な調査やって、突き詰めていった結果この何か所かが日本の中で地層処分に適する土地なのですと、それこそ根気強く住民に説明していく方がいいんじゃないかな。

自治体の挙手なきゃ文献調査にも進めないなんて、挙手なきゃどうするんだろう。

あと将来の世代に対する責任ですが、どうやって道徳的な立場を与えればいいのか。

本来なら私たちの世代で、っていうのが一般的だけど、

将来の人からしたら、そんな貴重な燃料地下深くに捨てんなやーってなったりしたら面白い。

必ずしも地層処分で自然まかせ的に処分するのもありだと思うけど、

必要な技術とお金と政策を確保しながら将来世代にまかせるのもありなんかな?

 

 

 

 

日本人はホントに忘れっぽくなったのか?

意識高い系が気になったこと

 

 

大学の講義を受講している時

「もう国民は森友問題のことは忘れている。最近はいつも新たな出来事に飛びついて

大事なことが置き去りにされている」

と教授が申すのです。

 

たしかに騒ぎは沈静化しましたし、このところ立て続けに起こる問題で

前の問題がかすれていくようにも思います。

 

でもこれって日本人の感性というか考える力が単純に堕落したことに直結するとは思いません。もし堕落しているとしてもそれは果たして我々に非があるのでしょうか...

 

最近ネットで海外のゲーム生配信を見る機会が多いのですが

ホントにネットは便利だなぁとつくづく思います。

そして時々、日本と海外にはもう時差なんてないのではないかと思い始めてきました。

端的にいうと世界で24時間を共有しているのでないかと...

昔は手紙を送るにしても飛脚に頼んで早くても数週間か数か月。

受け取った方も何日も考えて手紙を書き、それをまた飛脚に頼む。

手紙を一通送りあう行為でもおおくの時間を有しました。

つまり手紙を送る側も受け取る側もそれぞれの24時間があったんです。

 

今ではLINEによりその行為は1分で済みます。

つまりLINEを送る側も受け取る側も、同じ24時間を共有しなければいけなくなったんです。

これは日本と海外でもおなじです。

海外で起こった出来事が数日後に新聞として発行される時代から

今ではライブカメラトランプ大統領の就任式を見ることができます。

 

情報の速度が速くなったことで、私たちは常に同じ24時間を生きている気がします


情報の速度に私たちがついていけておらず、忘れっぽくなったと感じてしまうのでしょう


ていうかこの時代に一つの議題に執着すればするほど、ビックウェーブに取り残されてしまいそうです。

 

 

アメリカ大統領選

今更ですがアメリカ大統領選、さすがアメリカという結果でしたね。

クリントン支持者でもトランプ支持者でもない第三層の人たちの無意識に住み着いたトランプの勝利といえるでしょうね..ところで..

 

youtubeクリントンサポーターとトランプサポーターがお互いにマイクを使いながら広場や道の真ん中で討論している様子のビデオをよく見ます。

羨ましい.. これに尽きるでしょう。

 

この光景が果たして日本で見ることはできるのか、おそらく無理でしょう

もともと自分の意見をあまり外に出さないこともあるのですが

どうどうと互いの意見をみんなの前でぶつけ合う。簡単にできることではありません。

 

そこはさすがアメリカといったところでしょうか。

 

ここしばらくニコニコ動画youtubeで日本のアニメを見た海外の人たちの反応というジャンルがありますね。ニコニコ動画に関してはyoutubeの転載のようですが...

逆に日本人はなかなかアニメの感想やリアクションを動画としてyoutubeやニコニコにアップロードしている人は皆無といえるでしょう。

 

文化の違いというのかなんというのか

どちらが良いのか決まったわけではありませんが自分の反応を素直に動画やSNS、またはリアルの行動に反映するアメリカの人たちには 

羨ましいなぁ...

の一言に尽きます。